「立原 道造」(たちはらみちぞう)

 「四季」の創刊に参加。14行詩10篇を収めた第1詩集「萓草に寄す」を刊行。以後「暁と夕の歌」を上梓し、「優しき歌」などを構想するうちに、病気のためわずか24歳で生涯を終えた。