「前田美千雄」(まえだみちお)

 昭和12年に東京美術学校(現・東京芸大)日本画科を卒業,絹子さんと婚約し,召集され中支(中国中部)へ,4年に渡った婚約期間に251枚,結婚1年足らずで再召集され粟ケ崎へ,ここでフィリピンに出発するまでの3か月間に345枚,そしてフィリピンから昭和19年12月までに132枚,合計728枚の絵手紙を絹子さんに送り続けるが、終戦の10日前に戦死。(31歳)